静岡天満宮の所蔵品
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1.銅鐸(県指定文化財)

「銅鐸」は弥生時代にあらわれた祭りの「カネ」であった。にぶく光、高く鳴り響くその音色は、祭りをいっそう壮厳なものとしたのである。弥生人たちは祭りをして、豊かなみのりと繁栄と成功を祈願し、さらに神に感謝をささげたのである。銅鐸を通して弥生人の素朴で正直な生活を垣間見ることができる。

銅鐸
外縁付菱環紐袈裟襷文鐸(静岡天満宮 所蔵)
現在 静岡市駿河区登呂博物館 保管展示

 弥生時代中期の古段階鐸に分類されるこの銅鐸は、銅鐸祭祀が変化していく過渡期に製作された、楽器として使われた最後の段階の銅鐸である。銅鐸は吊り下げて振り鳴らして音を発する稲作祭祀の道具であったが、後に何らかの象徴として安置する役割に変わってしまった。この変化は、弥生時代の稲作文化が推移していくうち、稲作社会が大きな変化を受けていたことを物語っている。
さらに、島根県加茂岩倉遺跡で出土した銅鐸のひとつが、この銅鐸と同じ鋳型で鋳造された 兄弟鐸であることが知られた。奈良県北葛城郡上牧町で江戸時代後期に出土したこの銅鐸は、 出雲勢力と畿内勢力を直接に結ぶ証拠のひとつとして重要視されるものである。
 弥生社会の市域共同体が、戦いや連合を繰り返しながら広域の連合国家に成長し、やがて統一政権誕生へと進展し大和朝廷が成立したのである。
 この銅鐸は、わが国の古代国家が形成されていく過程の中で、大きな社会的飛躍の初期段階の 変動の時期に製作され使われたものである。日本の歴史からみても、この銅鐸は貴重な歴史証人であり語部であるということができる。(解説:静岡市立登呂博物館副主幹 中野 宥 氏)

2.梅天神(白隠禅師御真筆)掛け軸

静岡天満宮所蔵
梅天神
1995年 配布カレンダーより

 「駿河の国の過ぎたるものが二つある。富士の高嶺に、白隠禅師」と昔から言われています。そして白隠禅師(1685~1768)の御真筆である、この「梅天神」は白隠禅師75歳のときに書かれた、いわゆる「文字像(文字絵)」です。「南無天満大自在天神」という文字を使って、静岡天満宮の御祭神菅原道真公の御姿を描いています。
 この「梅天神」の掛け軸は静岡天満宮の敬神家であり後援者でもある東京在住の水野米太郎氏が手に入れられたものを静岡天満宮に奉納されたものです。「天満大自在天神」とは、道真公の神号といわれています。その起源には諸説がありますが「道賢上人冥途記」のように、仏の世界から出たともいわれています。
 道真公のお顔と公が平生好んでおられた梅が、写実的に描かれています。諸家の鑑定と禅師の使用されている印譜、顧鑑夷、絵と書の線等によって禅師75歳の作とされています。
掛軸全体の中に「宵の間や 都の空に すみもせで 心づくしの 有明の月」という歌が白隠禅師の歌として記されています。全国の美術館にも展示されたこともある白隠禅師の「梅天神」は逸品であると同時に貴重な文化財でもあると思います。 (解説:静岡県美術商組合理事長 久保田達夫氏)

3.須恵器「平瓶」

須恵器「平瓶」
静岡天満宮所蔵 須恵器(平瓶)

 日常的に使用されている瀬戸物と呼ばれる陶器は、その始まりを尋ねると中国殷代に作られた灰陶(かいとう)に辿り着く。わが国へは古墳時代の中期(5世紀頃)にもたらされたものと考えられ、日本書紀の「雄略紀」七年の条に、百済から新漢陶部(いまきのあやのすえつくりべ)高貴という人物が伝えたとある。この新来の焼き物は、それまでの縄文土器や弥生土器と違い耐久性に優れており、生活史上、文化史上ひとつの節目を成す程のものであった。現在はこの焼き物を“須恵器”と呼び、後代の陶器とは区別されている。
 須恵器は、当時の一般的厨房具としての土師器(はじき)と異なり、ろくろを用いて形成し、のぼり窯の還元焰焼成によって作成されたもので、奈良時代以降製作され瓦類と焼成技術の基を一にしている。土師器は酸化焰焼成によるもので、特別の技術は必要としなかった。それに対して須恵器は専門の知識や技術を要するため、その最初の頃は、大陸から渡来した技術者集団にもっぱらよっていたものであった。
 須恵器の器形には様々なものがあるが、壷類や坏(つき)類が多い。壷のうち、頚部が細く液体保存に適した形のものを、瓶(へい)と呼ぶ。そのなかで。胴と頚の中軸が一致しないものに横瓫(よこべ)・提瓶(ていへい)・平瓶(へいへい)がある。
 静岡天満宮の蔵品(写真のもの)はこのうちの“平瓶”で、志太郡岡部町横添の古墳から出土したものである。その形から、古墳時代後期後半代(7世紀)ころのものと考えられる。この平瓶には美しくうわぐすりで飾られているように見えるが、この時期にはまだ施釉の技術はなく、焼成中自然にかかった自然釉である。それがかえって自然で素朴な美しさを産み出している。静岡天満宮の蔵品(写真)は古墳の横穴式石室の中での保存状態がきわめて良好であったためか、傷ひとつない優品である。葬送儀礼に供せられたか、おそらく酒などを入れ、幾種類かの須恵器や他の器財と共に、横穴式石室の中に入れられたものである。
(解説:静岡市立登呂博物館副主幹 中野 宥氏)

4.川中天満宮掛け軸

川中天満宮掛け軸
静岡天満宮所蔵 川中天満宮掛け軸

 静岡の老舗「竹茗堂」の初代竹茗氏(西村忠実)は、歌人でもあり、また国学も良くし、本居宣長(1730~1801)と親交があり、木枯らしの森にともに遊んだことが碑に刻まれている、元明元年(1781)で茶舗を始めたころよりすでにあった掛け軸が、七代目(故西村泰輔氏)の夫人の扶希子氏により静岡天満宮に奉納された。この掛軸には安倍川と大岩を背にした菅公の像の絵である。これは静岡天満宮の原点を物語っている。