景行社(静岡天満宮摂社)
道真公が無実の罪で九州太宰府に流された昌泰4年(西暦901)1月25日の翌々日(延喜元年1月27日)、道真公の子供達は位を下げられてそれぞれ別々の地に流された。
長男の高視公は土佐の国(高知県)へ、三男の兼茂公は飛騨の国(岐阜県)へ、四男の淳茂公は播磨の国(兵庫県)へ、そして次男の景行公は駿河権介と格下げされて、駿河の国に流された。
景行公は身体の弱く、やっとの思いで駿府の地に着いたときには、もう生きる気力もないほどだった。その後、景行公は勅許を得て常陸介(常陸は概ね現在の茨城県。「介」は国府の長官)として赴任された。
景行公の霊を慰めようと、平成元年、篤志家によって景行公の神祠が寄進され、景行公の霊を祀ったのが「景行社」なのである。父君道真公も安堵されたことと思う。